日本音楽理論研究会

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川瀬麻由美ヴァイオリンの夕べ(2003年11月28日、大分県総合文化センター音の泉ホール)プログラムより

て 2/4~3/4拍子 最初に2拍子と3拍子が交代する変拍子の律動的な旋律がチェロで奏される。ヴァイオリンが後から模倣し、様々に音高をを変え反復、対位法的にまたリズム動機として展開し、主題部分を形成。ピッツィカートで終止して、第1エピソードへ。第1エピソードは旋律的な音型で展開。ごく短く主題が現れ、再びピッツィカートで終止して、第2エピソードに入る。ここでは新たな民族的色彩の旋律をチェロが提示し、展開。三たびピッツィカートで終止して、主題部の再現。ここでは切れ目なく第3楽章に現れた七度の跳躍、この楽章の第2エピソードの旋律素材が次々登場・加工されクライマックスを形成。終結部は再び主部の旋律と七度の跳躍により短くまとめられ、曲は終わる。

  実はこの作品は、フランスの音楽雑誌『ルヴュ・ミュジカル』が企画したドビュッシー追悼特集(1920年12月1日付。ドビュッシー自身は1918年3月25日没)に寄せられた作品であった。そのときは第1楽章のみで『デュオ』という表題であったが、その後加筆され全4楽章のソナタとして出版されたのである(ちなみにこの追悼特集に寄稿した音楽家は全部で10人。その中にはデュカス、ルーセル、マリピエロ、バルトーク、ストラヴィンスキー、ファリャ、そしてサティがいた)。出版された楽譜の表紙には「ヴァイオリンとチェロのための4部のソナタ」と記され、譜面の一番上に「ドビュッシーの想い出に」と記されている。実をいえばこの作品について、一番筆者の気に掛かったことは「なぜ、この曲がドビュッシーの追悼曲なのか」ということであった。というのも、たとえば同時に追悼曲を寄せたファリャは、彼の《ドビュッシーの墓》の中で、ドビュッシーの作品をそれとわかるように引用しているが、この曲の場合そのような箇所は見あたらない。しかし、ラヴェルも《ハイドンの名によるメヌエット》や《フォーレの名による子守歌》のように、音楽家の名前を織り込んだ作品も残しているのである。いったいラヴェルほどのわざ師が、なんのからくりもなしにこうした機会に作曲をするだろうか。筆者の知り得た中で一番定説らしいのが、ドビュッシーは晩年になって6曲のソナタを作曲する計画があり、実際に3曲のソナタ(チェロとピアノのためのソナタ、フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ、ヴァイオリンとピアノのためのソナタ)を完成させたので、ラヴェル自身第1曲目に3つの楽章を加えてソナタとしたことが、ドビュッシーの追悼であるという説である。しかしそれでは最初の曲を寄稿した時点では、ラヴェルは半完成品を公開したことになる。完全主義者のラヴェルにそんなことがあり得るだろうか。またたとえばドビュッシーのチェロ・ソナタの第2楽章がピチカートを取り入れていることと、このラヴェルの曲の第2楽章が対応しているという説明も可能だが、やはり後追い追悼の域を出ない。
  楽譜を見ていて気が付いたのは、第1楽章のA-C-E-C#-A-Eと動く無窮動的な主題旋律が最後の部分でA-C-E-C#-A-Dと変化している点だ(最後の音がEからDへと変化)。なぜここだけ音が異なるのだろうか。そこでもう一度、ドビュッシーのフル・ネームを考えてみると、Claude Achille Debussyだ。つまりイニシャルはC-A-Dとなる!するとラヴェルは1曲目の最後でドビュッシーのイニシャルを織り込んだことになる。しかしこれだけでは偶然かもしれない。ところが続く第2楽章のチェロの開始音はC(#)、第3楽章はA、第4楽章はDである(ちなみに後半二つの楽章はチェロで開始する)。つまりラヴェルはこの第1曲を書いた時、その最後の部分に細工をし、つまりドビュッシーのイニシャルを織り込み、後でそれを敷衍し、1曲のソナタに仕上げることを考えていたのではないだろうか、という仮設が成り立つ。これならば1曲目を寄稿した時点で、すでに追悼の意味は明確であり、しかも後に続く構想まで出来ていたことになる。チェロの方に名前を織り込んだのは、先述のドビュッシー晩年のソナタ計画の最初がチェロ・ソナタだったから。チェロとヴァイオリンという編成は、ドビュッシー最後の作品がヴァイオリン・ソナタだったから、と説明ができるのである。とはいえいわゆる階名(do,re,mi…)を音名として使用する習慣のあるフランス人がA,B,C..を音名として自分からすすんで使うだろうか。疑問は残る。

  4曲めはハンガリーの作曲家ベラ・バルトーク(1881-1945)の作品。周知のようにバルトークは、ハンガリー及び周辺地域の民謡を採集整理し、他方で知的なアプローチによる独自の音楽様式を作り上げた作曲家であった。《ファースト・ラプソディー》は同第2番と共に1928年に作曲されている。この時期はバルトークにとって最も豊かな実りの時代であった。すでに作曲家として、そしてピアニストとして国際的評価を得、コダーイと共におこなってきた民謡研究も軌道に乗ってきた時期でもあった。
  全体は第1部「遅い」(Lassu)と第2部「速い」(Friss)の二つの楽章から構成されている。第1部はG-Dのドローンによる短い序奏(2小節)の上に、独奏ヴァイオリンがGのリディア旋法による主題を提示する。バルトークによればこれはルーマニア民謡に見られる旋法である。続く主題後半は長3度と短3度の頻繁な交代と逆付点による鋭いリズムにより展開していく。穏やかな中間部分を挟んで、Cのリディアで主題が再現。主題後半からバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタを思わせるようなポリフォニックな楽節を独奏ヴァイオリンが奏し、その後G調に復帰し第1部は終わる。第2部は軽快なモチーフで始まり、次第に速度を速めながら次々と民謡的素材が提示される。結尾は第2稿が用いられ、第2部冒頭の旋律が再現し曲は終わる。バルトーク自身この曲に使用した民謡旋律を明らかにしてはいないが、彼自身の記録によれば6つの民俗舞曲の旋律を使用したと報告されている。副題に「民俗舞踊」とあるように、土俗的な生命力が堅固な器に盛られた作品である。この時期のバルトークが民族的新古典主義と称されるゆえんである。この第1番はシゲティに献呈され、後にヴァイオリンと管弦楽およびチェロとピアノに編曲された。
  この後バルトークは30年代からファシズムの波が彼の周囲に迫る中で、1940年に渡米。クーセヴィツキーらの支援を受けながら、創作を続け円熟した作品を書くが、病に倒れ、祖国に帰ることなく世を去ることとなった。

  プログラム最後を飾るのはヨハネス・ブラームス(1833~1897)の室内楽作品。20歳の若きブラームスに出会ったロベルト・シューマンが『新しい道』という文で、彼を世に紹介したが(1853年10月)、そのなかでシューマンが「果たして、彼はきた。嬰児の時から、優雅の女神と英雄に見守られてきた若者が」とブラームスを紹介していることから、ブラームスの登場が与えた衝撃の強さがうかがえるのである。同時代のオペラ、楽劇、交響詩には興味を示さず、絶対音楽の領域に身を置いたブラームスだが、他方ドイツ民謡を編曲し、リート(ドイツ語による芸術歌曲)を多数手がけているところは彼の同時代性を示している。 しかしなによりも彼の音楽に対する古典的傾向が、結果として優れた室内楽を多数生み出すことになったといえるだろう。今回取り上げられるピアノ三重奏第一番変ロ長調作品8は、3曲ある(20世紀に発見された1曲を除く)ブラームスのピアノ三重奏曲の最初のものである。初稿は1854年1月に完成しており、先述のシューマンとの出会の時と重なる。もっともブラームスは36年後の1890年に大幅な改訂を施しており(その際曲全体の規模も縮小され、3分の2程度になった)、通常この改訂版が演奏される(今回も改訂版が演奏される)。
  曲は4つの楽章から構成されている。第1楽章アレグロ・コン・ブリオ ロ長調 2/2拍子。 当時有力な音楽批評家にして、ブラームスの後半生の親友、さらにブラームス研究の第一人者と目されるマックス・カルベク(1850-1921)のいう「波の上に虹が架かり、岸には蝶が舞い、ナイチンゲールの声を伴奏とする」第1主題は、まさに若きブラームスの息吹そのもののように希望にあふれ魅力的である。ピアノとチェロでこの主題が変形されながら提示された後、ヴァイオリンも加わり厚みを増す。優雅な第1主題に対しアクセントの強いリズムが目立つ楽段を経て、平行調の嬰ト短調で第2主題がピアノで奏される。第2主題前半は旋律的な第1主題と対照的に分散和音形を取り、音量も弱音であるが、後半は再び旋律的な音型(ただし下行形)となる。提示部の終わり近くに3連符の音型が現れ、展開部はこの3連符に第1,第2主題が絡んで音楽が進んでいく。再現部では最初弦のユニゾンによって低域で3度低く第1主題が提示され、反復進行により徐々に音度を上げ、6度の並進行となり、厚い和音のピアノとチェロで第1主題の再現となる。第2主題はロ短調で再現。ここからはヴァイオリンとチェロが最初2オクターヴ差、後半1オクターヴ差で同一旋律を奏し続け、時折弦が分かれることはあるが、きわめて美しい部分だ。最後は主調に戻り「穏やかに」の指示の後、チェロとヴァイオリン、そしてピアノが対話を繰り返した後、リズミカルな結尾により曲を結ぶ。
  第2楽章 スケルツォ ロ短調 3/4拍子。明らかに第1楽章冒頭主題の上行音型から導き出された主題が全体を支配する。中間部のトリオでは長調に転じレガートな旋律が奏され、前後の楽段と対照的な楽想を示す。
  第3楽章 アダージョ ロ長調 4/4拍子。ゆったりした楽想で3部分形式をとる。やはり第1楽章冒頭主題の、今度は反行形から導き出されたコラール風(和弦的)な楽句をピアノが奏し、弦がそれに呼応する形で始まる。中間部は平行調に転じピアノとチェロの重奏で、和音の刻みに乗せて歌謡的な旋律が奏され、そこにヴァイオリンが加わっていく。その後再びコラール風な部分が現れる。
  第4楽章 アレグロ ロ短調 3/4拍子。快速なテンポによる同主短調の終曲で5部分からなるロンド形式をとる。ピアノの分散和音に乗ってチェロが3拍目の付点リズムが印象的な主題を奏する。これはほとんど同音反復に近い旋律だが、主題後半ではゆるやかな分散和音となる。チェロによる主題提示の後、ヴァイオリンによる主題提示が行われ、主部は展開していく。途中8分音符による刻みが特徴的な部分と嬰ト短調に転調する部分を挟み、主部が変形・展開されて曲は終わる。

おわりに

  本日の演奏会はヴァイオリンを中心に据えたアンサンブルを含むリサイタルである。オーケストラの中では「楽器の女王」とも称され、現在ではわが国において最もなじみ深い楽器のひとつであろう。しかしヴァイオリンはクラシックの音楽の枠内のみにとどまることなく、現在でも大衆音楽や民族音楽の領域において世界各地で演奏されている楽器である。バルトークの故国ハンガリーもまたそのひとつであった。これはヴァイオリンが芸術音楽から大衆音楽、民俗音楽までも、その中に呑み込み、表現し得るキャパシティを持っていることを示している。本日の演奏会は、一見したところ各時代を散策するがごとき名曲セレクションに思えるが、通して聴いてみると、その内に浮かび上がってくるものは、ヴァイオリンという楽器に秘められた強靱な生命力である。それはこの楽器自身のそれのように、強く深い。
 

 文 大分県立芸術文化短期大学助教授 小川伊作

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